今回ご紹介する作品は、宇佐見りんさんの [推し燃ゆ] です!
著者の宇佐見さんはわずか20歳で2019年『かか』で文藝賞を受賞し、2020年に本作で芥川賞を受賞した新進気鋭の作家です。
そのフレッシュさを象徴するような本作は、いわゆる”推し文化”を題材にした作品。
アイドルなどを熱狂的に支持することを指す、推しという言葉はいまや市民権を得ました。
あなたにとって、推しとはなんですか?
現代人にとって、生活の一部にさえなってる人もいる推しという概念。
「未来の考古学者に見つけてほしい時代を見事に活写した傑作」
週刊文春「私の読書日記」朝井リョウより
タイトルで敬遠する人もいるかもしれませんが、そんな人にこそ読んでほしい作品です。
明日からラインで使える作品フレーズもご紹介しています!
それではあらすじ・感想をどうぞ!
あらすじ
推しが炎上した。ファンを殴ったらしい。アイドルユニット「まざま座」の上野真幸を推す女子高生のあかりは、真幸の暴行事件をきっかけに自身の生活も徐々に変わりはじめていき、、、 すべての推す人にむけた、現代青春小説。
感想(ネタばれあり)
これこそ現代の小説。
まさにそんな作品でした。まず推し文化がテーマの作品でありますが、精神疾患を抱えた主人公あかりの生きにくさも見事に描かれています。
推しがすべて
あかりは繰り返し勉強をしてもみんなと同じように覚えることはできず、バイトでもマニュアル外の連続に対応できずミスの連続。
本書で病名については触れていませんが、あかりはなんらかの精神疾患を抱えている描写があります。
思わず目をそむけたくなるようなあかりの不器用さの連続は見ていて苦しくなりますが、そんな生活に差す一片の光が真幸くんでした。
彼の発する言葉や世界にだけ受容する器官があるかのように、あかりは彼のすべてに没頭していきます。
あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落されて、背骨だけになっていく。
真幸があかりの背骨となって、唯一の存在意義となっていきます。
推しと同一視?
アイドルや俳優・女優を信奉する若い子は恋愛感情にも近いものを抱きますが、あかりはそういった感情は持ち合わせていません。
あたしは触れあいたいとは思わなかった。現場も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり、歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。
推しの真幸くんとは一定の距離の中で推し続けていたい。
恋愛とか近づきたいとかではなくて、離れた場所から推しの真幸くんが見るおなじ世界を見てみたい。
あかりは推しを自分に投影して同一化していきます。
一方で推しとは隔絶されている矛盾。恋人や家族の関係と推しとの関係は、種類が異なってきます。
*この先の魅力も語りたいのですが、どうしてもネタバレしてしまうので読み終えた人やネタバレOKの人だけ下のタブを開いてください!
友だちが推しと繋がる
どれだけうまくいかない生活が続いても、推しさえいればなんでもいい。
ただ、友人の成美が、推している地下アイドルと繋がったことをきっかけに、本作の流れが変わったと私は考えます。
今まで近づかなくていいと思っていた推しという存在に、友人の成美は実際に近づくことができた。
あかりはこの時から自身の哲学がゆらぎ、会いたい気持ちが芽生えたのではないでしょうか。
推しの引退
推しの突然の引退の報道にあかりは激しく動揺します。
解散ライブに全力で向き合うものの、引退後は空っぽになります。
ステージでライトアップされていた舞台との距離では測れませんでしたが、推しのマンションに押し掛けた際、無機質な距離を目の前にしてはじめて決定的に推しと自分の隔絶に気づくのです。
自分にとっての背骨であった推しは、自分の体から離れてついに何もなくなってしまった。
這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。
本書の締めの文のとおり、自分にとっての背骨がなくなって地を這うように生きる指針がなくなって終わります。
推す側の人たち
世間で脚光をあびるのはスポットライトの照明を浴びる人たち。
一方でそれを支え、推す人たちはどうなんでしょう。
毎日が無気力で苦しくて生き辛くて、その中でもがく様に推しているんじゃないでしょうか。
本作は主人公を通して、光の裏側にいるあまりに生々しい人間像に触れた作品でした。
明日から使えるラインフレーズ!
「推しは命にかかわるからね!」
友人の成美があかりに放った言葉。あなたにとっての推しについて話題になったとき、推しに対する愛情を語りたいとき、ぜひこの言葉を送ってみてください。
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