今回ご紹介する作品はこちら!
[神々の住む深い森の中で]です!
科学の発達によって自然界から独立した存在になりつつある我々ニンゲン。
科学技術によって生活にさまざまな恩恵がもたらされていますが、そのすべては果たして本当に正しいことなんでしょうか?
最近ではSDGs(持続可能な17の世界的開発目標)に関心が集まっていますよね。
ニンゲンの手によって壊してしまったもの、壊そうとしているものについて考えなければならない。
この本は20年以上前に書かれた児童文学ですが、そういったSDGsや、我々ニンゲンが動物・自然・地球とどう関わっていくかを考えるキッカケを与えてくれる一冊です。
児童文学と思って侮るなかれ。
この一冊で色んな気づきを与えてくれました。
それではあらすじ・感想をどうぞ!
あらすじ・概要
作: 岡修三
障がい者教育を学んで養護教諭をつとめたのちに、作家活動へ。
代表作は『僕のお姉さん』、『海をかえして!』、『いちねんせいのがっこうたいけん』など。
絵: 岡本順
挿絵を中心に広く活躍。
代表作は絵本『きつね、きつね、きつねがとおる』、挿絵『となりの蔵のつくも神』など。
あらすじ
ぼくは川田大介。小学五年生。秋の連休を利用して、お父さんとふたりで、お父さんの里に遊びにきていた。
本書より
「あのカブト山には、山ザルがいるだ」
と六年生のじゅんちゃんが言ったのが、すべてのはじまりだったのだ。
動物たちの住む森で
いとこのじゅんちゃんたちと共にカブト山のサルを見に行った大介。不慣れな山の探検で順ちゃんたちと離れ離れになってしまい、森の中で遭難してしまう。
木の洞(うろ)に入って一夜を過ごすことにするが、目を覚ますと言葉をしゃべる動物たちが取り囲んでいた。
人間裁判
大介は一緒に捕らわれの身になった老人のマキノさんとヨシコとともに動物たちの牢の中に閉じ込められる。満月の夜に動物たちのもとで人間裁判が開かれ、神の名のもと、次々と人間たちが裁かれていく。
三人は動物や自然・環境に対して「何もしなかった罪」、「ほんとうの学問をしていない罪」を問われ、自然牧場での労役を求刑される。
自然牧場の果てに大介が見つけたものとは
三人で脱走を試みるも虚しく失敗し、大介は自然牧場で過ごすことに。だれの手を借りることもできず、自分の力で生き抜かなくてはいけない自然牧場の中で、大介は何を感じどう生きていくのか…
感想・考察
評価 9 / 10
こんなにもむごたらしく、美しい児童文学があったのか
児童文学の類としてはかなり衝撃的でした。
生命を扱うということは目を背けたくなるような現実にも直面しなければなりませんが、本書ではそれに真っ向から向かっていきます。
大介が初めてウサギを殺して食べるシーンや、人間の生き死にをありありと描写している児童文学はあまりないんじゃないでしょうか。
それほどまでにストレートに残酷なんですが、同時にいのちの美しさもありのまま描かれていました。
あまりに小さい子には早いかもしれませんが、小学校中学年以降のこどもがもしいたら、ぜひ読ませたいなと思う作品。
もちろん、大人も十分に楽しめます。
以下、考察を綴っていきます。
何もしなかった罪
大介たちは動物たちの人間裁判で「何もしなかった罪」、「ほんとうの学問をしていない罪」を問われます。
これは現代を生きる我々にとってほとんど全員があてはまってしまうことではないでしょうか?
テレビやYouTubeで環境破壊の映像を見ている瞬間は心を痛めても、その先に何か行動があるわけではない。
学歴を中心とする受験戦争で学ぶ勉強は自分にとってのものであり、誰かを助けるものではない。
「何もしなかった罪」と言われると理不尽に感じますが、その罪に目を逸らし続けた結果、人類が自分たちの首を絞める結果になってしまっているんですね。
以下、ネタバレを含みますので、ネタバレがいいよという方だけ下のボタンを押してください。
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生きていくということは
自然牧場での労役を終えた老人と会った大介。
老人はヨシコと暮らしていたといいます。
会いに行きたい気持ちは大きいけど葛藤は大きいです。1人で生き抜く力をつけたからこそ、長旅の危険性は誰よりも知っているし、今の場所は自分が作り上げた畑があって住むには何一つ不自由がありません。
それでも一年以上かけて会いにいくことを決意した大介。
ここに人間の、生きものの本質があるんじゃないでしょうか?
~ぼくはいまではひとりで生きてこれたのではないことを知っている。ぼくは多くの動物を殺し、その命に支えられて生きてきたのだ。多くの野菜や果物からエネルギーをもらって生きてきたんだ。そして、出会った人たちや太郎にはげまされて生きてきたんだ。
「つながっているんだ。命あるものはつながっているんだ!」
「つながって生きている!だれかの命で、ほかのだれかが支えられているのよ」
ひとりで生きていくことができる。大介やヨシコにはそういった自信もついていたんだと思うんです。
それでも最後に、自分たちはつながりの中の一部であるということを知ります。
食べ食べられ、助け助けられ、いろんなつながりの中で生きている。
だからこそ、大介がヨシコに会う決意ができたのも、生きものの根底にあるつながりに突き動かされたからではないでしょうか。
マキノさんはなぜ?
自然牧場での生活を終えて人間の社会に戻ってきた大介は、若い青年カップルやマキノさんが亡くなったことを知ります。
青年カップルはともかく、マキノさんはいい人でしたよね。
特別悪事を働いていたわけでもないし、自然牧場でもきっと身の丈にあった生活をしていたんだと思います。
ひょっとしたら、動物は以前から人間のことばをしゃべっておったのかもしれん。わしらがそれに気づかんだけだったのかもしれん。
大介と初めて会ったとき、マキノさんはこんなことを語ります。
読んでいて聡明なおじさんだなぁと思っていたんですが、マキノさんも読み手のわたしもある勘違いをしていたのかもしれません。
あそこは人間の言葉が分かる動物たちがいる森ではありません。
神々の住む森だったんです。言い換えると、神のもと平等な存在が集められた森、とでも言うべきでしょうか。
人間の言葉を喋る、というよりは、すべての動物にとっての共通言語がある空間だったんだと思います。
マキノさんはたしかに善人でした。しかし、最後まで人間が地球の中心であるという考え方から脱却することができなかったんです。
「かわいそうなのは、年ではない。ことばがとどかないことだ」
最後に神さまが大介に言ったように、あらゆるつながりの中の一部であることを理解することこそ、
これから人類が生きていくために必要なことなのではないかという作者からのメッセージだと解釈しました。
さいごに
児童文学のなかではかなりシビアで、考えることが多い作品でした。
この作品は阪神淡路大震災の時期に書かれており、それ以降もわたしたちは自然のもつ威力や人間のちっぽけさを痛感することがありました。
しかし、ただ悲観するのではなく、人間だからこそできることを模索していく必要がありますね。
ぜひお子さんに読ませるだけでなく、大人の方にも読んでほしい一冊でした。
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