今回ご紹介する作品はこちら!
村上春樹さん作の[海辺のカフカ]です。
2002年に出版されて以降、世界中で愛され続ける作品。2019年には蜷川幸雄さんが脚本の舞台も上映され、話題になりました。
絶対的な運命に直面したとき、あなたはどう対処しますか?
読み終わったあとにはきっとあなたも主人公のカフカとナカタさんを抱きしめたくなるはず。
それでは感想・考察をどうぞ!
概要
作者:村上春樹
早稲田大学在学中にジャズ喫茶を開く。1979年、『風の歌を聴け』で群像新人文学賞を受賞しデビュー。1987年発表の『ノルウェイの森』は2009年時点で上下巻1000万部を売るベストセラーとなり、これをきっかけに村上春樹ブームが起きる。その他の主な作品に『羊をめぐる冒険』、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』などがある。
新潮社著者紹介ページより
日本国外でも人気が高く、柴田元幸は村上を現代アメリカでも大きな影響力をもつ作家の一人と評している。
作品のあらすじ
「君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年になる」――15歳の誕生日がやってきたとき、僕は家を出て遠くの知らない街に行き、小さな図書館の片隅で暮らすようになった。家を出るときに父の書斎から持ちだしたのは、現金だけじゃない。古いライター、折り畳み式のナイフ、ポケット・ライト、濃いスカイブルーのレヴォのサングラス。小さいころの姉と僕が二人並んでうつった写真……。
amazon商品リンクより
主人公の「田村カフカ」は、カラスと呼ばれる少年との対話によって、家を飛び出して旅に出ます。
一方、猫と会話ができる風変りなおじさん「ナカタさん」は猫探しをしながら慎ましく生きていましたが、ある事件に巻き込まれ、こちらも旅に出ることに。
遠く離れた2人が互いの運命に作用しながら、一つの目的に繋がっていき…
感想・考察
評価 9 / 10
『君はこれから世界でいちばんタフな15歳の少年にならなくちゃいけないんだ。なにがあろうとさ。』
ニンゲンは、自分でも意識していないところで宿命じみたものを負っている。
それにどう向き合っていくのか。
そんなものを感じた作品でした。
物語はカフカ少年のパートとナカタさんパートが交互に繰り返されるダブル主人公で構成されています。そのため、長編小説でありながら物語が冗漫にならず、読みやすかったです。
知らないことがたくさんある15歳のカフカ少年
とあるキッカケで読み書きができなくなったナカタさん
過去にとらわれ続ける佐伯さん
性自認と肉体が乖離している大島さん etc…
など、この作品に出てくるキャラクターは全員が完璧ではない不完全性があります。
ですが、そこも含めてすごく愛せるキャラがたくさんいました。
周りで本作を読んだ人に好きな人物を聞いてみると、星野さんやカフカ、猫のオオツカさんなど意見が分かれたんですが、それだけ色んなキャラがそれぞれ魅力的に映っているんでしょうね。
(ちなみにわたしはナカタさんが大好きです。)
ある一部では卓越した側面を持ち、もう一方で思わず抱きしめたくなるような弱さを抱えている。
それが村上春樹作品のキャラクターの魅力なんだなぁと。
それでは思ったことをツラツラと書いていきますが、以下ネタバレを含みますので、よろしい方は
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メタファーの物語
本書ではメタファーという言葉が何度も出てくる、物語のキーワードです。主人公のカフカ少年からみた佐伯さんはお母さんのメタファー、星野青年からみたナカタさんはお祖父ちゃんのメタファーといったように、現実の存在を別の実体に抽象的な概念を織り交ぜてかかわっていきます。
「父を殺し、母と姉と交わる」
父からこの予言を受けていたカフカは予言から逃げるように東京を飛び出します。しかし、遠く離れた場所でもナカタさんを通して父を殺した感触と血が再現されてしまいます。
予言や運命と対抗していくとき、現実的・実体的な対処方法では予言から逃げることはできないとここで悟るんですよね。カフカ少年は、予言から目を背けるのではなく、受け入れながらもメタフォリカルに対応していくことで初めて自分の運命を切り拓くことができたのです。
佐伯さんはお母さん?
これ、読み終わってからもすごく悩ましかったです。何度も答えが頭の中で変わりました。
ですのでまた読めば考え方は変わってしまうかもしれないんですけど、佐伯さんはカフカの実の母親ではないと思っています。
上にも書いた通り、この物語はメタファーで解決していくテーマであり、佐伯さんも本当のお母さんではなく、お母さんのメタファーとして考えるのが妥当なのかなと。
お姉さんのメタファーであるさくらさんに対してよりも記述や描写が細かいので、もしかすると佐伯さんは本当のお母さんなんじゃないかと思いもしたんですが、そうなる理由は2つあると思われます。
- カフカの渇望した母親への愛情と負い目
幼少期に母は姉を連れて出ていったため、カフカは顔も声も覚えていません。
根源悪とされている父を置いてでていくだけでなく、自分も置いて行かれたカフカは、母親と姉にたいして執着した渇望をみせます。
なぜ自分だけ連れて行ってくれなかったのか。
姉は連れていかれた身ですが、主導して連れて行った母親に対してはより強く、愛情と負い目を求めていたんでしょう。
さくらさんや佐伯さんと初めて会ったときすでに、姉や母ではないかと思案を巡らせています。
なにかキッカケや特徴を通してそう思うならわかりますが、余りにも早計ですよね(笑)
それほど、母と姉、特に母親を追い求めていたためではないでしょうか。
2. 佐伯さん自身の物語でもある
さくらさんはカフカにとっての姉というメタファーの役割を持っていましたが、言い換えればそういった側面でしか登場してきていません。
しかし、佐伯さんは違います。そもそも、この物語のはじまりは佐伯さんなんです。恋人と離れたくないがために入口の石を開いてしまい、その結果恋人がなくなって佐伯さん自身も実体が半分なくなる(影が薄くなる)ことで空白の期間を過ごすことに。
佐伯さんがいなければこの物語は起きていないんです。加えて、さくらさんに対しては一方的なメタファーでしたが、佐伯さんの場合は双方ともメタファーとして機能していたんじゃないでしょうか。
佐伯さんは恋人をなくし、空っぽになってしまった期間に誰かとの間に子どもが生まれるも、過去の恋人との思い出や葛藤から離れてしまったと推測します。カフカが佐伯さんに対して負い目を感じているのと同じくらい、いやそれ以上に近い経験をしていたからこそ、本当の母子のような関係が生まれたんじゃないでしょうか。
おそらく、カフカの実際の母親は、根源的な悪である父親をおそれ、またその父親から引き継がれたカフカを恐れて逃げ出したんだと思います。なので、実際の部分は突き詰めていくと違ったお話になるんじゃないのかなと。
ナカタさんが奪われた謎
ナカタさんは家柄もよく優秀な生徒でしたが、野外実習での集団昏睡により、1人だけ後遺症が残り文字の読み書きができなくなります。これは実体が半分なくなったことを意味するんですが、なぜナカタさんだけそうなってしまったんでしょうか。
ナカタさんは日ごろ父親から家庭内暴力を受けていました。周囲のお仕置きゲンコツといったものとは別の、冷淡なものです。
そういった状況のなかで節子先生の恥じらいから生まれた突発的な暴力により、不安定な存在となってしまったと考えられます。節子先生が遠く離れた夫と繋がる超越的な経験のさなか、ナカタさんが1人だけ不安定な存在だったため、昏睡からさめた後も実体が半分置いていかれてしまったんでしょう。
ナカタさんと猫さんたちが話しているシーンはすごく好きなんですが、あれも後遺症の原因でしょう。実体が向こう側にあることで言語をこえたコミュニケーションがとれるのか、はたまた不思議な力を代替してもらったのか。
さいごに
この本は、2人の主人公(もしくは3人)が互いに意図せず化学反応を起こし、1つの結末に収束していきます。
もし、自分にもこんな作用がどこかのだれかと起きていたら素敵だなと思いますね。
運命と言うと仰々しいかもしれませんが、それを背負っているモラトリアム期の方や、何かを背負っていると常に考えている人には特におすすめの一冊でした。
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