【管理人のエッセイ】僕は犬を飼わない

管理人のエッセイ

小さい頃から犬や猫が大好きだった。飼っている友達が羨ましくて、親に何度も頼んだけれど、ペット禁止のアパート暮らしだったため、叶うことは無かった。仮にペットが禁止じゃなかったとしても当時の経済状況じゃ無理だったと思う。

けれど僕が小学生高学年になる頃、大事件が起こった。マイハウスの購入である。
父の出世が決まり、自分を祝福するかのように自らマイハウスの購入を宣言した。母はあまり乗り気じゃなかったのは何となく覚えているけれど、男3人兄弟の真ん中に生まれ、ずっと兄と相部屋をしていた僕は自分だけの部屋がもらえるということで大喜びだった。
だが事件はそれだけでは終わらなかった。

家の支払いはもちろんローンによるもので、経済的にはむしろ苦しくなったはずなのに、マイハウスを手に入れた喜びで浮かれていたのか、ほぼ同時期に犬まで飼おうと言い出してくれたのだ。お金の事情なんて全く考えていなかった僕は自分の部屋を手に入れたことよりも嬉しくて、あの時ほど父に感謝したことはない。母はもちろん経済的な理由で反対していたけれど、うちでは時代錯誤の家父長制が続いていたので、父親の決定が揺らぐことはなかった。普段は母政権を支持していた僕もこの時だけはあっさりと手のひらを返した。

飼うことが決まってからはあっという間で、その日のうちに近所のホームセンターの中にあるペットショップに行って、新たな家族をさがした。本当は大型犬が欲しかったのだけれど、大型犬は飼うのが大変という何となくのイメージで小型犬限定で探すことになった。

店内のワンコたちを愛でながら見て回っていると、近くにいた店員さんがブラックタンのミニチュアダックスフンドを抱いて私たち一家のもとに話しかけてきた。
「こちらのわんちゃん、生後2か月なんですよ。抱っこされてみますか?」
僕は考えるまでもなく首を縦に振り、一番に抱っこさせてもらった。店員さんは僕にそのダックスを預けると、また別の子犬を持ってきてくれて、父や兄にも渡していた。

生まれたばかりの子犬たちにも性格の違いというものが既にあって、他の子犬たちが慣れている店員さんのもとに戻りたそうにしていたり、抱っこされてもすぐに逃げ出そうとしていた一方で、僕が抱っこしたダックスはとても人懐っこく、母や弟にも自分から歩み寄って抱っこされにいった。

この時点でみんなそのダックスにメロメロだったのだが、その子のプロフィールを見てみると出身地に記されていたのが宮城の中でもすごく田舎の部分で、母の実家の近所だった。母もこれには親近感を覚えずにはいられなかったらしく、実質的にこれが家族入りの決定打となった。

その日のうちに書類での購入手続きを済ませ、僕はさっそく夢のワンちゃんとの共同生活が始まると興奮していたのだが、すぐにその場で手渡してもらえるわけではなく、引渡し前の予防接種だったりと色々な手続きが必要で受け渡しは数週間後ということだった。
その時はめちゃくちゃがっかりしたが、帰りの車の中で子犬の命名大会が始まった。何のこだわりかしらないが、うちの兄弟の名前はみんな漢字一文字で、子犬の名前も漢字一文字にすることになった。
各々が色々な候補を挙げていく中、僕は当時没頭していたゲーム『モンスターハンターポータブル2nd G』の【乱舞】という技が大好きだったので、そこから一文字頂き『らん』を提案した。

こんな不甲斐ない理由で思いついた名前だったが、響きがよかったのか父親も気に入り、名前は見事『らん』に決定した。ただし口頭だったため、僕がまさか『乱』を意味しているとは思っているはずもなく、女の子らしくお花の種類でもある『蘭』になった。言っていなかったが、新たな家族は家で唯一の女の子である。

名前も無事に決まり、あとは我が家に迎える日を待つのみ。そこからの時間はものすごく長く感じた。
まだ手元にいない家族を友達に何度も自慢した。学校から家に帰っても毎日犬との生活のことだけを考えていた。気の早い父も犬のおもちゃやケージを既にいくつか買っていた。

そして迎えた運命の日。ついに蘭の受け渡しの日がやってきた。例のペットショップに行くと、あの時の店員さんがいて(店長だったらしい)、目の前には蘭もいた。相変わらず社交的で、人を見るなり尻尾を振って近寄ろうとしてくる。
店員さんに蘭という名前を伝えると、
「いい名前ですね~!」と言ってくれた。ひねくれていた僕はそこで「よくない名前ですね」と言う場合もあるのだろうかなどと考えていた気がする。

そんなことはさておき、早く蘭を連れて家に帰りたかったが、受け渡しの際に諸々の注意事項を家族全員聞かされ、内心はやく終わってくれとずっと祈っていた。長い話が終わり、家に着くころにはもう7時~8時頃になっていた。さっそく蘭と色々な遊びをしたかったが、慣れない環境で疲れているからとその日はあまりちょっかいを出さずに落ち着かせてあげることになった。

マイホームから学校までは徒歩1分(20mほど)だったが、それでも翌日は猛ダッシュで学校から帰宅した。見慣れない家族がまだ新しい家の床をうろうろしており、本当に夢のようだった。散歩にも行きたかったが、よくわからないワクチンを打つまで外を歩かせるのは禁止されていたため、ちょうど蘭サイズの柔らかいバッグに入れて抱っこしながら外の景色を見せたりもした。犬を実際に飼うまでは犬に服を着せたりするのは理解できなかったけれど、いざ飼ってみると本当に自分の子のように可愛くて何着も服を購入した。犬は体毛が人よりもあるため、寒さに強く本当は服など必要ないということも理解していた。完全に自己満足だったけれど雨の日にはカッパを着せたり、犬用の靴下を履かせてあげたりと正真正銘の親バカだった。

そんな蘭が今年の2月に死んだ。14歳だった。原因は子宮がんだった。
ミニチュアダックスフンドの寿命は12歳から16歳と言われているから、がんじゃなかったとしてもそれほど変わらなかったのかもしれない。それでも1日でも長く生きてほしいという思いで、病院で摘出手術などもしたが、がん細胞の遷移が早くてこれ以上の治療は不可能と言われてしまったらしい。

「らしい」というのも、実は僕は今海外にいて例のウイルスのせいで国境の行き来も自由じゃないため、蘭の最期をそばで見届けることができなかったのだ。母がLINEでこまめに蘭の様子を動画で送ってくれていたが、最後の方は病気に苦しむ姿が可哀そうで見るのも辛かった。その数日後に母からのLINEで蘭が亡くなったことを伝えられ、「わかりました」とだけ返信した。

蘭が生きたのは14年間。僕は2019年に大学の卒業と同時に家をでて、それから一回しか家に帰っていないから、実質蘭と一緒にいた期間は12年弱。
犬の一生を人間の平均寿命である85年間に換算して考えると、僕は蘭にとって最後の12年間ほぼ一度も会っていないことになる。人間の親子だったらとんでもない親不孝者だ。
こちらにも帰れない事情があったとは言え、蘭からしてみれば幼少期からずっと一緒に居た僕が突然姿を消して、ついに最期の時まで帰ってこなかったということになる。逆の立場で想像してみると本当に残酷なことをしたと悔やんでいる。

これを美談にするつもりはないけれど、このことから学んだことも少なくない。
蘭はガンが発覚してから衰弱するまでが本当にあっという間で、つい先日までピンピンしていたのに次に見た時には歩けず、食事もとれないようになっていた。きっとこれは蘭に限った話じゃない。

今、身の回りで元気にしている人にもいつ何が起こるかわからない。もちろん私自身にも。
今更だけど、親との時間は大切にした方がいいと思った。自分の親が亡くなるのを想像し、心構えをしている人は意外と少ないと思う。みんないつかその時が来るのは理解していても、現実に起こる直前までどこか他人事だと思っているんじゃないだろうか。でも蘭のように急に病気が悪化して、その時に側にいてあげられないかもしれない。だからこそ、親に限らず、大切な人との時間は持てるうちに持っておいた方がいいと思った。

そして僕はもう犬を飼うことはないだろう。今でもYouTubeで犬の動画をたくさん見ていて、かわいいと思うし、飼いたくもなる。だけど飼わない。一緒にいた時間が楽しければ楽しいほど別れるのがつらいし、蘭が死んでしまったときのような悲しみをもう二度と味わいたくないというのももちろんある。
でもそれ以上に人間と犬は同じ密度で時を共にすることはできないということを感じてしまったからだ。平均寿命の単純計算で犬は人間の約5倍の密度で生きている。ずっとその5倍の密度を上回る愛情でもって片時も離れずに世話をしてあげることがどんなに難しいかを蘭との日々を経て知った。これができる人だけ犬を飼えばいいと思う。今の僕にはその自信がない。だから僕は犬を飼わない。

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