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ドイツの作家ミヒャエル・エンデの児童文学【モモ】です!
1973年に出版というひとむかし前の作品ですが、今でも全世界で愛されています。
現代を生きる大人にむけられているんじゃないかというくらい、今読んでも色あせません。
日々の忙しさで時間に追われる生活をしていませんか?
自分にとってゆたかな時間を手ばなしていませんか?
児童文学の枠に収まらない現代人のバイブルになる一冊。
それではあらすじ・感想をどうぞ!
あらすじ
かつて演劇が行われた廃墟、円形劇場にある少女がやって来る。
少女の名は「モモ」
家族もいない、どこから来たかもわからない…
そんなモモに町の住民は手を差し伸べるが、モモといっしょに過ごすうち、モモが他の人にはない力を持っていることが分かる。
それは人の話を聞く力。
だれにでもできそうで、皆できないこと。
雨が降れば傘をさし、お腹がへればご飯を食べるように、
「困ったことがあればモモのところへ行きな!」
と、人びとの生活のなかにモモは浸透していった。
そんなモモは特に仲のいい掃除夫のベッポ、観光客ガイドのジジの2人といっしょに貧しいながらも楽しい日々を送っていた。
しかし、あるときを境に、街の様子が一変する。
みんなが取りつかれたように時間に追われ仕事をするように。
それは時間貯蓄銀行を自称する「灰色の男たち」が人間の時間を奪っているからだった。
モモの、灰色の男たちから奪われた時間を取りもどす冒険がはじまる。
感想 評価 8/10
時間ってお金とおなじくらい大切?
時間をつかった慣用句・ことわざに、
『時間を稼ぐ』、『時間を節約する』、『時は金なり』などがあります。
時間は、お金と紐づけられることが多いんですよね。
とくに最後の『時は金なり』なんてすごく直接的で、時間はお金に等しいという意味です。
けど、なんだかそんな言葉に、ずっと違和感を持っていました。
その違和感が、この本を読んで解消されました。
その違和感は、「お金は時間に対して優位になっている」ということです。
時間ってお金くらい大事だよね、ということは言い換えれば、
お金がみんなにとって大事なのは当たり前だよね、という前提の上で成り立っているもの。
けれど本当にそうなんでしょうか?
時間はお金の下にくるものなんでしょうか?
最新の時短家電が街にはならび、人びとの時間は増えているはずなのに、現代の大人は憑りつかれたように働いてばかりです。
時間は自分だけのもの
モモたちは灰色の男たちに時間を奪われてしまいます。
人びとは時間貯蓄銀行に時間を投資することで、人びとの未来の時間を生み出そうとします。
ですが、実態は灰色の男たちに時間を盗まれているんです。
作者のミヒャエルが伝えたかったのは、時間はじぶんだけのものだということだと思うんです。
人間というものは、ひとりひとりがそれぞれのじぶんの時間を持っている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。
モモより
時間の支配人、マイスター・ホラがモモに教えてくれたセリフ。
灰色の男たちが盗んだ時間を作中では「死んだ時間」と表現されています。
第三者が奪っていった時間は自分にとって「生きた時間」にはならず、「死んだ時間」になりさがってしまう。
今でいうと灰色の男たちは、社会やビジネスに当てはまるんでしょうか。
なにかに追われていること、自分の外側にあることにつかっている時間はいくら割いても豊かにはなりません。
読書でも運動でも友達や恋人と話すことでも、なんでもいい。
それぞれにとって大切なことをする時間こそ、人生を豊かにするものなんです。
作中ではモモが見事、時間を取りもどすことに成功します。
ただ、読み終えてわたしは思うんです。
自分たちの世界では、今まさに灰色の男たちがうごめいていることに。
わたし自身、時間が足りない時間が欲しいとつねづね口にしてしまいます。
自分にとっての豊かな時間をこれから作っていこうと思えました。
児童文学の域をこえた超名作、まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください。
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