今回ご紹介する作品はこちら!
『コンビニ人間』で芥川賞を受賞した作家・村田沙耶香さんの【地球星人】です。
普通に生まれて、普通に結婚して、普通にはたらいて、普通に子どもをうんで…
その世間にある『普通』っていったい何??
自分たちの日常ひとつひとつをぶった斬る衝撃作。
読み終えたらあなたも、ポハピピンポボピア星人に生まれ変わっているかも!?
それでは、感想・考察をどうぞ。
あらすじ
作:村田沙耶香
1979(昭和54)年千葉県生れ。玉川大学文学部芸術文化学科卒。2003(平成15)年「授乳」で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。2009年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、2013年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、2016年「コンビニ人間」で芥川賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』『生命式』『変半身』『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。
新潮社公式サイト著者プロフィールより
代表作『コンビニ人間』は、ふだん本を読まないけど知っている、という方も多いと思います。
それほど社会にガツンと影響を与えた作品でした。
今回の【地球星人】は、その後に書かれた作品で、タイトルのスケールも、人間⇒星人とレベルアップしてますね。
村田さんの作品は一貫して、誰もが触れている日常に潜む”普通”の違和感、異常性を浮き彫りにする村田イズムのようなものがありす。
その作風は一度読んだら忘れたくても忘れられない衝撃で、病みつきになります(わたしもその1人です笑)
上記のプロフィールにもある通り、野間文芸新人賞・三島由紀夫賞・芥川賞は、純文学の三大新人賞を総なめにしており、日本を代表する作家といえるでしょう。
今後の活躍にも目が離せませんね。
(ちなみに、三大新人賞を受賞した作家さんは現在5人しかいません。しかも全員女性作家さん。気になった方は調べてみてください)
【地球星人】あらすじ
恋愛や生殖を強制する世間になじめず、ネットで見つけた夫と性行為なしの婚姻生活を送る34歳の奈月。夫とともに田舎の親戚の家を訪れた彼女は、いとこの由宇に再会する。小学生の頃、自らを魔法少女と宇宙人だと信じていた二人は秘密の恋人同士だった。だが大人になった由宇は「地球星人」の常識に洗脳されかけていて……。芥川賞受賞作『コンビニ人間』を超える驚愕をもたらす衝撃的傑作。
新潮社公式サイト『地球星人』ページより
本作は、主人公の奈月の小学生時代と、成人してからの二部構成になっています。
奈月は両親と姉の4人暮らしですが、家庭内での居場所が見つからず疎外感を感じています。
年に一度、お盆に秋級(あきしな)の集まりで会える従兄弟の由宇が唯一の心の拠り所でした。
魔法少女だと告白する奈月と、宇宙人を自称する由宇。
2人は恋人関係になりますが、ある事件によってすべての歯車が狂い、その後の人生を運命づけることに…
34歳になった奈月はネットで知り合った、同じく社会に馴染めない男性・智臣(ともうみ)と契約結婚をして世間の目を騙すように暮らします。
しかし、智臣のリストラがきっかけで、子どものとき以来訪れていなかった秋級の実家に旅行に行くことに。そこには、かつてとほとんど変わらない姿の由宇もいましたが、中身はすっかり工場の人間たちに洗脳されていて…
感想・考察 評価9/10
なにがあってもいきのびること
いったい村田さんの頭のなかはどうなっているんだ(笑)
読み終わったあと、真っ先にでてきた感想です。
途中までは主人公に感情移入してしまうシーンも多く、共感性が高かったんですが、ページを読み進めるごとに”普通”のレールからそれてそれて…
その結果、物語は信じがたい結末を迎えることになるんですけど、なんだか人ごとのように思えない読後感がありました。
奈月と由宇が交わした約束の三つ目
『なにがあってもいきのびること』
このことばが、生きのびることの生命線になるとともに、幼少期から生きることの絶望を抱えてることを同時にはらんでいて、苦しくなりました。
徹底的な異化の構造
文学における表現方法の一つに、『異化』というものがあります。
これはなにかというと、例えば人が歩くシーンを文章にするとしますね。
ちょっと歩くだけなら数秒の出来事ですが、文章におこすときは勝手が違います。
歩くという一連の動作がどのように行われているのかを詳しく書いたり(膝関節をまげて太腿を押し上げ、踵から設置するなど)、歩いているときの心情はどのようなものか、また歩くという行為がなんて珍妙なものなのか、
など、様々な切り口で書くことができます。
このように、異化というのは、普段私たちが日常の近くにありすぎて意識しないものをあえて切り取って着目したり細分化する作業です。
本作の地球星人は、生きること、というすべてを異化しています。
私はこの街で、二種類の意味で道具だ。
『地球星人』p54より
一つは、お勉強を頑張って、働く道具になること。
一つは、女の子を頑張って、この街のための生殖器になること。
私は多分、どちらの意味でも落ちこぼれなのだと思う。
世界を取りまく、当たり前の「生きるということ」
自身を魔法少女(途中からはポハピピンポボピア星人)だと思っている奈月目線によって、私たちが普段生きている社会や日常って、こんな変なものだっけ?と思わず飲み込まれてしまうほど、作品を通して生きることに対する異化が徹底されていました。
これ以降の感想はネタバレに繋がりますので、よろしい方のみ下記のボタンをクリックして表示してください。
先天的な異常性と後天的な異常性
著者の代表作である『コンビニ人間』でも、一般社会からは理解されない異常性を抱えた女性が主人公でした。
一見似ているなぁと思ったのですが、決定的に前作と異なる点があると思うんです。
それは、奈月の異常性が後天的なものではないか、というものでした。
コンビニ人間では両親や妹が献身的に寄り添っていても社会との共通項を見いだせない主人公が描かれていましたが、奈月の異常性はいろんな要因があったと思われます。
姉妹間差別という虐待と、塾の先生による性的虐待です。
母親は姉の方につきっきりで、奈月の方にはちっとも構ってくれません。それだけではなく、奈月に対しては暴言を吐いたり、スリッパで執拗に頭を叩いたりと、明らかに姉妹間での差が見られました。
~自分がいなくなると三人は、すごく家族っぽくなる。だからたまには、三人で家族水入らずで過ごしてほしいと思っている。
『地球星人』p23より
家の中にゴミ箱があると便利だ。私は多分、この家のゴミ箱なのだと思う。父も母も姉も、いやな気持ちが膨らむと私に向かってそれを捨てる。
『地球星人』p51より
…おおよそ、小学校の女の子が考えることではないですよね。
他にも、自分を卑下するような描写が多々ありました。
たまたま会った学校の先生に褒められた時の喜びようを見ても、普段の家族生活の中でどれだけ疎外感を感じていたかが読み取れます。
それに加えて、塾の伊賀崎先生による性的虐待。
オーラルセックスを強要されたことによって、奈月は「口が欠落」してしまい、何を食べても味を感じなくなってしまいました。
物語のラストでは何のためらいもなく殺人を犯していますが、こういった過度な心理的ストレスの蓄積によって奈月は壊れていってしまったんじゃないかと推察しました。
虐待から読み解く性格の形成
先ほども申し上げた通り、奈月の人格形成や終盤の異常性は、子ども時代の虐待に非常に大きな関係があると考えられます。
奈月がぬいぐるみのピュートの声が聞こえるのも、伊賀崎先生の性的虐待によって幽体離脱したのも、解離症やPTSD(心的外傷後ストレス障害)に多く見られる症状です。
そして、これらの症状は小児期の虐待と非常に親和性が高い。
従兄弟の由宇に関しても、幼いころに父を亡くしたり、母親にその父の役割を求められたり、心的ストレスが多かったために、自分は宇宙人であるという逃避行動をとっていたと思われます。
この作品を読んで感じたのは、誰しもがこうした異常性に傾くことがありうるということです。
最終的に奈月は生きるということの中に、他者を殺すことも厭わない存在になってしまいますが、その奈月をつくったのは奈月の家族であり社会です。
この本の登場人物たちをただの異物として切り捨てず、どう関わっていくべきだったかを考える一冊にしたいですね。
さいごに
いかがでしたか?
少し気になったのが、なぜ姉がひいきされて奈月はないがしろにされていたのか、という点。
姉のほうが神経質でヒステリックを起こすし、友人も少なく、容姿も奈月の方が優れているような描写があります。
わたしが思うに、姉は母親を求めていたから、じゃないでしょうか。
自分のことはなるべく自分で解決しようとする奈月は可愛げがなく、姉ばかりに気をかけるようになったのかと。
そうすると、ほんとに大人も含めて不完全な人しか出てきませんよね。
普通って何なんだろう、をすごく考えさせられた作品でした。
個人的に小説原作の映画化って特段興味は無いんですけど、地球星人に関しては、映像化してやろうっていうぶっ飛んだ監督さんがいないかな、と少し思ってます(笑)
それくらい衝撃的な作品でした。
皆さんもぜひ、ご一読あれ。
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